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更新日:令和3年9月17日

「デジタル資料館~判官館のアイヌ文化を知ろう」

「判官館とアイヌ文化」について紹介します 

 新冠町郷土資料館は、ただ今新型コロナウイルス感染症拡大防止に伴う緊急事態宣言のため臨時休館しております。その間、新冠の象徴といえる「判官館」に、どのようなアイヌ文化があるのかを全4回にわたり紹介していきます。

第2回「判官館〔チャシ跡〕の謎」    【令和3年9月17日紹介】

 アイヌ民族に関連する遺跡に、「チャシ跡」というものがあります。「チャシ」はアイヌ語で、砦・館・柵などいくつかの意味がありますが、遺跡では主に「砦」のことを指します。主に高台の場所に、「壕(ごう)」というくぼみを掘り、漁の見張りや交易の拠点、祭事の場、防塞など、さまざまな使い方があったようです。

 新冠町内には、43か所の遺跡がありますが、チャシ跡が残っているのは数か所しかありません。その内のひとつが判官館にある「ピポクチャシ跡」になります。この遺跡は、太平洋や新冠市街地を望める「判官岬」にあります。岬の先に壕のようなくぼみが見えますが、アイヌ民族が掘ったものなのか、自然に崩れたものなのかはっきりしておらず、まさに「謎のチャシ跡」となっています。しかし、日高町門別方面のアイヌ民族であった「オニビシ」のチャシが判官館にあったという記録もあり、謎ながらもロマンあふれる場所となっています。

 

 

第1回「ピポクとシャクシャインの最期」 【令和3年9月14日紹介】 

 判官館を海側から眺めると、ゴツゴツした岩壁の姿が目立ちます。昔、アイヌ民族はこの付近を「ピポク」と呼んでいました。これは「岩の陰」の意味があります。新冠と呼ばれる前は、ピポクの地名がこの付近を指すポピュラーな呼び名だったようです。

   江戸時代、シベチャリ(現在の新ひだか町静内)のアイヌ民族であるシャクシャインと、蝦夷地を統治していた松前藩の間に戦いが起こります。これを「シャクシャインの戦い」といいます。最初はアイヌ民族同士の争いでしたが、やがて和人との戦いに発展し、歴史に名を刻むような大きな争いになりました。寛文9年(1669年)、松前藩はシャクシャイン側に和睦を持ちかけます。しかし、これはだまし討ちで、祝宴を開いてアイヌ民族側が酔うのを見て襲いかかり、長であるシャクシャインは倒され、シベチャリの砦も焼き払われてこの戦いが終焉します。

 実は、このシャクシャインが最期を迎えた場所がこの「ピポク」だったのです。その後、松前藩はアイヌ民族への扱いを一層厳しいものへとしていきました。

 

【編 集】

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